趣味の生活

趣味でストレスをふきとばそー!

ストレスと情報

情報がいくらでも手に入る現代社会。

その副作用として人間はストレスを抱えていることを知っているだろうか。

 

目次

  1. 情報は武器だが、、、
  2. 今と昔
  3. まとめ

 

 

1.情報は武器だが、、、

 

これまで人類が培ってきた研究データや統計データ等々、今では無数の書籍やネットの文献で知ることができる。

多彩な情報を武器にして成功している人はたくさんいるわけですが、それは成功者たちはその武器を使いこなすために様々な努力と研究をしているからこそ成し得たものです。

 

つまり努力をしない人間や、間違った努力をしている人間、中途半端にできたと勘違いしている人間には重大な副作用をもたらすことにも繋がるということです。

 

例えば、殺傷能力が極めて高い大口径の拳銃がある。

その拳銃は確かに弾丸が標的に命中すれば、大ダメージを与えることはできるのだが、その拳銃を刑事ドラマやアクション映画で使用されている情報を真似して実際に打つと、弾丸は標的には当たらず弾丸の火薬が爆発した反動で拳銃を持った人間の肩の骨が砕けてしまいます。そしてこの拳銃を使えないゴミだと罵り拳銃を作った人を憎むわけです。

 

読めば絶対に億万長者になれる本も文字が読めなければまず億万長者にはなれません。

この本、何が書いてあるか分からないから詐欺じゃないか!と、本の作者を恨むのです。

 

 

この例はただのバカじゃん!

と思うかもしれませんが、本当にそうでしょうか。

 

もっと身近にある例を考えてみましょう。

 

好きな異性に振り向いてもらいたい場合、どうしますか?

この情報社会ですから、異性の落とし方なんてものがいくらでも転がっていますよね。

 

相手の喜ぶことをする、身だしなみを綺麗にする、相手の趣味や好きな音楽を調べてみる、などなど沢山あるわけですが、そんな付け焼き刃のヨミカジリで好きな人を落とすことはできません。

 

相手が喜ぶことをするという情報という名の武器。

その武器をもっていても、相手が何をすれば喜ぶのか分からなかったらただのゴミです。

また、その武器を使ってみたら相手が最も嫌がる事だったらどうなるでしょうか。

 

気になる女性に

髪の毛切ったんだね!似合うじゃん!

と褒めてみたはいいが、その女性としては納得いかなすぎる髪型にした美容師にイライラしていたとしたら、もうすでに先はないわけです。

 

身だしなみを綺麗にするのも同じです。

1人のギャルのお姉さんに気に入られたいから三代目のような服装にしてみたら、ジャマイカな感じが好きだから論外!なんてこともあるわけです。

 

ようするに、相手が存在しない場合ではかっこいい武器にはなるが、相手は人間ですからそのほとんどの武器は使えないゴミなのです。

 

それに気付かずいろんな人に同じアプローチをかけて全て失敗していると、情報よりも相手の異性に恨みが出てきてしまいます。

 

なんで振り向いてくれないんだよ!と、ストレスがMAXに到達した時に人間は魔が差すのです。自分を殺したり相手を殺したりして、気付いたときにはあの世か監獄の中にいるのです。

自分だけは大丈夫だと思っていても、現実にはたくさん存在する話なわけで、案外自分のすぐ近くに魔がいることを肝に命じましょう。

 

じゃあどうすれば振り向いてもらえるのか。

 

簡単です。

 

振り向いてもらえる人間になるだけです。

 

万人受けする人間になることではありません。

 

異性でも同性でも誰とでも礼儀正しく明るく楽しませる事ができれば特定の異性も当然笑ってくれるわけです。

どんな話の内容でも、それを楽しいと思える多角的視点を日々準備しておくことです。

知らない内容であっても知ろうとする姿勢をいつも持っておくことです。

身だしなみは自分を知るところから始まりますから、服装のセンスに自信がないのなら色んなお店に行って店員さんに似合う服を教えてもらうことです。

相手の趣味や好きな音楽なんか知る必要などありません。音楽を楽しむ心を持ってしまえばいいんです。

それが出来て初めてネットの情報の武器の使い方を知ることができるんです。

 

つまり振り向いてもらえる人間になるには自分が変わる以外に方法はないということです。

速く走りたければ足腰を鍛えましょう。

学校のテストで100点とりたければ100点取れる勉強をしましょう。

好きな人を振り向かせたいなら、自分の心と体、全てを鍛え磨きましょう。

情報という漢字。いいですねー。

幸せをまとうには己の心はまだまだ青臭い、努力をしよう!

といっているような漢字に見えます。

 

 

2.今と昔

 

100年前と現代、どちらがストレス過多だと思いますか?

YouTubeもあるし、ネット通販で家にいても物が買えるし現代の方が便利でストレスは少ないと思いますか?

 

私の勝手な考えですが、おそらく100年前の方がストレスは少なかったと思います。

 

その背景にはやはり情報の量に関係があります。

 

知らなくてもいいことは人間には必ずあるからです。

 

嫌な夢を見ました。

100年前はきっと、不吉な夢を見たから今日は1日気を引き締めて過ごそう!と思うわけです。

現代は夢占いなんてものがネットに出ていまして、こんな夢を見た人は予期せぬ事件に巻き込まれる可能性があります!などという情報を得ることができ、うわー最悪だー!と自分の夢を恨みます。

 

100年前は己を戒めてしっかり歩こうと前向きな決断を心に決めるのに対し、現代では夢占いなんて科学的な根拠が何もないものに心を奪われてその日1日を落胆で過ごすわけです。

 

知るということは時に自分をマイナスにしかしない場合があるのです。

 

確かに科学的な根拠がある情報で幸せになる場合もあります。

例えば、ハチミツは体にいいのはこれこれこんな成分がウイルスの脂肪成分を分解してくれるからだ!

といった情報です。

しかしハチミツは何千年も前から体にいいとされている食品です。昔の人はそんな科学的な情報がないときから自分やまわりの人の動きで体にいい事を知っていたわけです。

結局は、知っていればいいのはハチミツは体にいいということだけですし、難しい横文字の成分なんて一般人はほとんど忘れてしまいます。

 

人間関係においても同じです。

付き合った男女がお互いの事を知るために、私はこんなものとあんなものが好きだと情報を交換し合います。そしてLINEやメールで離れていながらもお互いの情報を常に交換しあっているわけです。

そして10分連絡がないだけで今何してるの?どこにいるの?誰といるの?と不安に不安を重ねては相手に情報を強要するようになってストレスを自分で溜め込んでいるわりには相手が返信をしないせいだと責任を取らせようとします。

 

情報こそが自分の不安を取り除ける特効薬であると錯覚しているわけです。

 

自分だけの特効薬を強要すればするほど相手に降りかかる束縛感はストレスになっていきます。

つまりお互いにストレスを溜め合う関係が現代のお付き合いと成り下がったわけですね。

 

これを的確に示す言葉があります。

 

『愚か』

 

 

私の好きな作家に浅田次郎という先生がいます。浅田先生は基本的には小説を書くのですが、その数ある書籍の中に『ま、いっか』というエッセイがあります。ここから探して読んでみてほしい。

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自分の好きになった人のことくらい想像させてくれ。

といったような内容の一節がこの『ま、いっか』の中に書かれています。

実に現代と過去の人間関係の落差を的確に指摘している言葉でしょう。

 

あなたを思って胸が苦しくなることは昔も今も変わらないが、その苦しさにお互いの未来想像があるのかないのかでクジラとミジンコほどの差が出てきてしまうのです。

 

ただでさえ自分の事が1番分かっていない人間が自分の情報を相手に伝えれば伝えるほど相手は嘘の情報をもらっていると思うのは当たり前なのです。

だって自分の事分かってないことすら分かってないのですから。むしろ嘘にデタラメを重ねてさらに心の仮想という名の文字で伝えているんですから。

 

毎日毎晩、想像した後にデートに行って

『あぁ私はこんなふうに想像してたけど、何か違ったな。でもこんな一面もあるのか。』とプラスにプラスに考えていくんです。

そしてさらに自分がどの角度で見られてもいいようにと普段から自分の行動や身だしなみを磨くようになっていくのです。

 

よく考えてみてください。

毎日LINEでお互いの安否を気づかう歌詞の歌と、暗い夜空の下で顔はよく見えないけどお互いの肩の温度が伝わる歌詞の歌、どっちがその2人の未来を素敵に描ける曲になりますか?

 

情報を得ることは経済的な豊かさを生み出す武器にはなり得るが、人の心を豊かにする道具とするにはまだ1%にも満たない完成度であるということを知っていて下さい。

 

 

3.まとめ

 

さて、今日は非常に説教臭い内容になってしまいました。すみません。

 

ただ私が言いたいのは、容易に得たものは容易に消えていき、それを土台に生きていると足元から簡単に崩れ落ちて頭を打ってしまうということなのです。

 

その痛みがストレスなのです。

 

苦労して努力して得たものは簡単には壊れません。それには想像と実行の繰り返しなんです。

苦労と努力がなによりストレスだと言われることがよくありますが、そんなこと言っている人間はまだ生まれてから1度も苦労と努力をしたことがないのです。

 

といっても、本当は忘れているだけで人間は全員1度は無我夢中で苦労と努力をしたことがあるんですよ?

 

みなさん確実に忘れてますがね。

 

赤ちゃんのころ、やっとの思いでハイハイしてやっとの思いでタッチをしたじゃないですか。誰一人として不平不満を口にせずに努力したじゃないですか。

 

努力は面倒臭いことじゃないんです。

もし面倒臭いなと思う努力があれば捨ててもいいんです。

きっとあなたの人生に必要がない努力なんですよ。

 

と、文才のない人間がまるわかりな私の今日のブログはこれでおしまい。

ありがとうございました。