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日本人

日本人はなぜ自己主張が苦手なのかを考えたことがあるだろうか。

 

それは個人の気質よるものだという考え方が浸透しているようで、私もその一人だ。

 

しかしこんな角度から考えてみるとどうだろうか。

 

目次

  1. 日本語
  2. 美学
  3. まとめ

 

1.日本語

言葉はその国の人間性を作っているのではないか。

いやもっと言えば日本国内でも方言が県民性を作っているのかもしれない。

 

まずは分かりやすいところで県民性。

関西弁と標準語を比較してみよう。

 

使っている言語は日本語だが、その発声方法で精神の解放に違いが出ている。

 

君はさー、ホンッ、トなにをやってるのー!

これが標準語。

 

おまぇほんまなにやってんねん!

これが関西弁。

 

実際に聞きくらべないとわかりにくいが、標準語の場合は『、』がところどころに入るのだ。

つまり、喉の奥で発声の息を切っているのだ。

関西弁では1つのセンテンスで『、』となるものが極端に少ない。

つまり喉で息を切るのではなく、口先だけで言葉の発音を作り喉が解放されているのだ。

 

日本の中でも自己主張ができる人が関西人に多いのは、言葉の作り方に息の切れ間がない分、精神の解放ができているからだと考えられます。

 

 

歌のボイストレーニングでまず基礎として始めるのが息を喉で切らず、口先だけで言葉の発音を作る練習です。

それだけ発音の作り方と精神の解放には密接な関係にあるのは確かなのかもしれません。

 

次に国別で考えてみましょう。

 

中学時代、英語の授業でものすごい違和感を感じていました。

それは人称に関しての違和感です。

 

日本語と英語、それぞれ同じ意味で自己紹介します。

こんにちは。横居直花です。元気ですか?

 

Hello. I'm Naoka Oui. How are you?

 

どうですか。

日本語では『私は』とか『あなた』といった人称を使ってないのに対し、英語では2つもつかっています。

 

ありがとう。

Thank You.

 

人称がありますよね。

 

この人称の多さこそが、まさに自己主張の国であるアメリカやイギリスの国民性を作り上げているのではないだろうか。

 

とにかく自分や相手の人称を出すことで自分の領域と相手の領域に線引きをしているように見えるのです。

 

日本語はどうか。

人称が極端に少ない。まして、人称を多用されたりすると相手にあまり良い感情をいだかなくなるくらいですよね。

 

おれさー、今日さー、お前んちに俺の布団持ってってお前の隣で俺寝てもいいかなー!?

と人称多用しないですよね?

 

今日もしよかったら泊まりに行ってもいいかい?もちろん布団は持参していくからさ。

この方が自然ですよね。

それに対しての反対は

『俺はお前を俺の布団の横で寝させてあげることはない!』

と言うことはなく、だいたいはこう言う。

『今日はちょっとー、、』

 

つまり人称を少なくすることが日本の美徳となっている部分も多分にあるわけです。

 

『今日はちょっとー』

の言い方にはこんな要素がある。

今日以外ならオッケーである要素、

泊まり以外のことならオッケーだという要素である。さらに言えばお前だけは泊めたくないという要素も少量含まれている。

 

それは言葉ではなく相手の表示などから読み取ることができる、まぁワビサビ的なものがDNAに刻み込まれているから、言ってみれば日本人には人称があまり必要ないのだ。

 

そしてもっとも代表的なのはyesかnoかという概念だ。

先に上げた『今日はちょっと』が英語ではNOなわけですが、日本語で嫌だ!と言うのはガキだけです。

つまり、日本人のNOはそれ以外なら大丈夫という要素を多く含んでいるから曖昧な返答だと思われてしまうわけですが、それこそが日本人が古くから構築してきた特有の優しさなのではないだろうか。

 

2.美学

俳句は日本人の美学の結晶だ。

その流れから昭和歌謡曲の歌詞もまた美学の結晶だ。

 

『雪とけて 村いっぱいの 子どもかな』

 

こんな俳句がある。

 

雪は冬を連想させるわけだが、冬という単語はない。

さらに雪とけて なので、春なわけですよ。もちろん、春という単語はない。

長い冬を終えてやっと友達に会えた喜びが、そのはしゃぐ声からひしひしと感じ取れるのですよ。

たったの17文字で春の喜び、夏の盛り上がり、冬に備える秋、長い冬、の1年間の物語を想像させてしまうのですから、素晴らしいとしか言いようがありません。

この句に失礼かもしれませんが、英語に訳したらどうでしょうか。

英語ができないので正確にはわかりませんが、おそらくただの説明文になってしまうだけでしょう。

 

言葉少なく、相手に楽しさや厳しさを読み取らせることが日本人の美学の一つなのです。

 

 

謡曲で考えてみましょう。

 

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『夕暮れの街角 覗いた喫茶店 微笑み見つめあう 見覚えある2人』

 

これもまた素晴らしいですよね。

 

私にはなぜか電柱と細い道が見えてきます。

隠れているんでしょうな。

その二人はきっと学生服とセーラー服で、学校が終わってから喫茶店で制服デートしていたんでしょう。

 

ほとんど書かれてないのに、こんな想像が出てきてしまうんですよ。

日本語というのは本当に私たちの右脳をガンガン回してくれる最高の言語なのです。

 

3.まとめ

曖昧な表現に的確な映像を見せてくれる日本語。

優しさに溢れている日本語を使ったもの同士なのに、かつて内戦を繰り返していたのは、よほどその心に熱い想いがあったに違いない。

 

そして現代でも日本語は日々進化している。

とくにギャル語は面白い。

実に周到で的確にその情景を示している。

 

世界の共通語は英語だが、もし日本語になったとしたら他の国の文化にワビサビが融合してもっと新しい表現が生まれ平和な人類になるのではと密かに願っている。

 

私たち日本人はこの曖昧な表現をもっと誇りに思い大事にしていくべきだ。

心を感じるために。

 

あぁ優しくなりたい!

と思ったところで今日はおしまい。

ありがとうございました。

横居直花